2.昭和世代が顔出しや名前出しに抵抗があるのは当たり前、私たちはアナログで育った

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目次

多様性の真逆だった昭和という時代

昭和時代の画一性と見えない圧力

多様性の真逆だったのが昭和という時代でした。今でこそ男性も主夫になったり、あるいはいろいろな価値観がありますが、昭和という時代はもっともっと、いいように言えばシンプルでした。「男たるもの〇〇」「女の子はお嫁に行くのが幸せ」「一つの企業で定年まで勤め上げるもの」。これは言い換えると、新卒で就職した企業で定年まで骨を埋める覚悟で働きなさい、と言うこと。「骨を埋める」ってもうどういうことだよ、と今なら思いますが、当時はそれがデフォルトで、そこから外れるのは非常に勇気のいることだったのです。

「脱サラ」とか「独立」という言い方をされました。今みたいに「起業」という概念があまりなかったのですね。「フリーランス」というのもなかったです。そして地方で特に多いのが、「公務員になるのが一番安定して生きられる」「一番幸せな人生は、この生まれ育った地方で公務員になって役所の職員になって結婚して家を継ぐことだ」。そう言われた男性は多いのではないでしょうか。

みんなと同じが安心安全だった時代

その最たるものが、「みんなと同じことをするのが安心だし安全だよね」ということだったのです。

そして、こんなことはありませんでしたか。何かの形で目立つとクラスでからかわれる!なんてことが。私はすごく印象に残っていて、今でもその光景を覚えているのが英語の授業です。当時、昭和の英語の授業なんて、先生も英語が得意な人はいなかったし、「ディスイズアペン(This is a pen.)」と、棒読みで読むのが当たり前だったのです。クラスに一人、発音の上手な子がいました。その子が上手な発音でスラスラと答えたら、みんなの方が気恥ずかしくなってからかってしまったのです。それ以来、その子はずっとその英語のフレーズでからかわれる、みたいなことがありました。

今みたいに「私はこんなことが上手いのよ」「私はこんなことができます!」とアピールするのとは真逆でした。だから「目立つとからかわれるんだ、じゃあ目立たないようにするのが生きやすいんだな」ということを学習していきます。

昭和の常識を振り返る自己分析ワーク

さあ、ここでもワークです。男性は、「男たるもの〇〇」と親御さんやおじいちゃんおばあちゃんから言われませんでしたか。そして女の子は「そんなに学はなくてもいい」とか。今聞くと笑っちゃうのですけれども、「女の子は三歩下がって、男性の三歩下がって歩いて行った方がいいので、男性よりも学がない方が揉めない」と言われませんでしたか。私は「お嫁に行って子どもを産んで主婦になるのが幸せなんだよ」と言われてきました。「学があると邪魔になる」と言われてきたのです。

ましてや、その女性が仕事を持つなんてとんでもないし、さらに言うと、結婚して旦那さんより稼ぐと、その家庭は揉めるみたいなことも言われてきました。それから「一つの企業で定年まで勤め上げる」という価値観がなかったでしょうか。あるいは「公務員になるんだよ」というふうに言われて育ってきませんでしたか。

それから、目立ってからかわれた経験ありませんか。いい意味でも悪い意味でも何か経験があるはずです。私は太っていたので「デブ」とか「ブタ」とか言われてきました。そんなふうに、何か目立つとからかわれた経験がなかったかな、ということを思い出して、ワークシートに書いてみてください。

遠くにいる知人とコミュニケーションを取る手段は電話と手紙だけ

昭和世代の顔出し名前出しへの抵抗は当然

昭和世代は、遠くにいる知人とコミュニケーションを取る手段は電話か手紙しかありませんでした。私が小さいときに読んだ本には「1ドル360円だった」と書いてありました。すごいですよね。国際電話もすごく高かった。資料が少し残っていないのですが、国際電話は本当に高額で、数分で1,000円とかそういう感じでした。

高価だった長距離電話と夜間割引の記憶

国内の電話も通信料が高かったのです。私は小学校6年生のときに大阪から札幌に引っ越しました。大阪の友達と、札幌にいる私が大阪の友達と電話で話すのに「1分何円だから」と言って時計を握りしめ、時計とにらめっこしながら話していました。それも夜間割引料金というのがあったのです。

当時、固定電話は、70キロ以上、100キロ以上とか、距離によって値段が高くなっていきました。今もそうかもしれません。割高なのだけれども、夜間割引料金があったのです。だから夜、多分9時以降に少し安くなる。小学生の私にとって9時以降によそのお宅に電話をするというのは、今ほど簡単じゃなかったです。固定電話なので親御さんが出ますよね。直接本人にスマートフォンで電話をかけるという時代ではなかったので、お家に電話をします。なので夜9時以降に電話をするというのは失礼なことだったのです。「夜分遅く申し訳ありません」と言って「〇〇ちゃんいますか」というふうに挨拶をしなければいけないとか、そういうルールがありました。その夜間割引料金を使わないと高くてかけられないくらい通信料が高かったです。だから手紙を書くのです。その二つの手段くらいしかコミュニケーションを取る手段はありませんでした。あなたは覚えていますか。

遠方の知人との連絡手段を思い出すワーク

さて、ここでもワークです。あなたは離れた場所にいる親戚の方とかお友達、知人の方とどのように連絡を取っていましたか。電話だったでしょうか、手紙だったでしょうか。どれくらいの頻度で、どれくらいのお金をかけてコミュニケーションを取っていたでしょうか。古い記憶を引っ張り出して書いてみてください。そしてあなたの体験とか、「そういえばこんなこともあったな」というふうに思い出したことがあったら、ワークシートにメモをしてください。

写真は非日常のもの

昭和世代の顔出し名前出しへの抵抗は当然

昭和世代の写真は非日常のものでした。

写真を撮るにはカメラを持っていなければなりません。当たり前のことですよね。でも考えてみてください、あなたは今一眼レフのカメラを持っていますか。みんなが一眼レフを持っているわけではありませんよね。カメラを持つというのはそれくらい特別でお金のかかることでした。

フィルムカメラ時代の写真撮影は高価で特別だった

加えて、昔のカメラはフィルムの「銀塩カメラ」とか言いますね。昔のカメラは毎回フィルムを買う必要がありました。撮り直しはききません。そして撮った写真を現像するのにもお金がかかったし、「私この写真欲しい」と言ってデジタルのようにコピーして渡すみたいなことではないので、「焼き増し」という言葉を覚えている方いらっしゃると思います。焼き増ししてと言って、焼き増しをするのにも一枚何十円というお金がかかっていました。それくらいお金のかかることだったのです。特別だしお金のかかることでした。

圧倒的に少なかったシャッターチャンス

また、圧倒的に場数が少ないというふうに書きました。写真を撮る機会は、遠足とか修学旅行、結婚式にお呼ばれしたとき、家族旅行など特別なときだけだったのです。カメラを持っている人が少なく、一家に一台あるかないかというくらいなので、写真を撮る機会も特別になるのです。お金もかかるから特別なときしか撮れません。圧倒的に場数が少ないので撮られ慣れていないのです。だからどんな顔をしていいのか、どのタイミングでどこを見てどんな顔をしていいのかもわかりません。

現像するまでわからないドキドキとがっかり体験

写真を撮った後はドキドキしながら現像を待ちます。現像されて初めて自分がどんなふうに映ったのかがわかるという、もう何だろう、びっくり箱を開けるみたいな感じですね。「可愛く写っているといいな」と思って待ちます。その期待を大きく裏切る半開きの目とか無防備な表情にがっかりすることがほとんどでした。お気に入りの写真になる確率は100枚に1枚くらい。こう言うと「いや、今でも奇跡の一枚を撮るために100枚撮っていますよ」という人、多分たくさんいると思います。

でも考えてください。写真を撮るのは年に数回しかないのです。それもフィルムって24枚撮りとか36枚撮りとかで1パックなのですね。100枚撮ろうと思うと、その36枚撮りのフィルムを3本買わなければいけない。その上100枚現像するだけのお金がかかってくるのです。それで一枚使える写真を作るというのが、どれだけ非効率なことか、非現実的なことか、わかっていただけると思います。なので写真を撮るのが年に数回しかないということは、100枚撮るのに何年かかるかですよね。

顔出し抵抗は経験不足とがっかり体験の蓄積

昭和世代が顔出しに抵抗があるのは、こういった背景があると私は思っています。圧倒的な経験不足と蓄積されたがっかり体験。セルフイメージが高いわけがないのです。顔出しに抵抗ができて当たり前だなと、過去を紐解いてみて思いました。あなたはいかがですか。

スマホ登場以前の写真撮影体験を振り返るワーク

さて、ここでワークです。あなたが生まれてからスマホが登場するまでの間、どんなときに自分の姿を写真に撮りましたか、あるいは撮られましたか。実際に何枚あるかアルバムを見て確認してみてください。きっと、思っているよりずっとずっと少ないはずです。

日記は究極の秘密のアイテム

昭和世代の顔出し・名前出しへの抵抗は当然

X世代と言われるアナログな昭和世代の私にとって、日記は誰にも見せない秘密のアイテムでした。他人の日記も覗き見してはいけない。そんなことをしたら一生絶交になります。私と同世代の女子は、鍵付きの日記帳を持った経験があるはずです。あるいは見たことがあるはずです。「〇〇ちゃん持ってたよね」という感じですね。鍵付きであるかどうかにかかわらず、日記帳はものすごくプライベートなもので、親にも見つからない、兄弟にも見つからないような引き出しの奥深いところにしまっていたものでした。そもそも日記を置くような自分の部屋に入れる人は、親兄弟かごく親しい友達だけだったはずです。

ブログ登場がもたらした日記の概念の混乱

だからこそ、ブログ、weblog(ウェブログ)というのが語源なのですが、インターネット上の日記としてブログが登場したときに、私は文字通り頭が混乱しました。バグりました。「ブログって日記なの?」「日記をインターネットで世界に公開するってどういうこと?」。

私が初めてブログというのを目にしたのは、ある地元の女子大学が「ブログを作りました!今後こういう情報を発信していきます」という電車の中の広告だったのです。そのときに「ブログって何だろう」と思って調べてみると、「weblog、インターネットに公開する日記です」という解説が目に入りました。「どういう意味?どういう意味?」と考えて、頭の中の混乱が収まるまでに、これは大げさではなく数ヶ月かかりました。あなたにとっての日記ってどんなものでしたか。そしてブログが登場したとき、どんなふうに感じたでしょうか。

日記とブログあなたの価値観を振り返るワーク

ではここでもワークです。あなたは日記を書いたことがありますか。書いたことがある場合、どこにしまっていましたか。そして、自分の日記を誰かに見られるということを想定していたでしょうか。そしてそれが全世界に公開されるというものが登場したときに、どんなインパクトを感じたでしょうか。